問題 7. 次の文章を読んで、文章全体の内容を考えて、(1)から(5 )の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

以下は、医師が脳と心の健康について書いた文章である。 人には会いに行こう 人に会いに行こうというと、当たり前だと思うでしょう。わざわざ人には会いに行こうとしたのは、電話や手紙(もしくはメール)ですませるのではなく、会うことに意味があるからです。 会うのは、コミュニケーションとしてきわめて重要です。つまり、コミュニケーション は自分の持っている情報を伝えるだけでなく、相手との共感がありますが、自分自身の規制、相手の規制にもつながる場合もあります。会って【41】、相手も変わり、自分も変わる可能性があるということです。 コミュニケーションではお互いにわかりあう、つまり共感がたいへん重要です。相手の身になって何かを感じる、それは相手の感情かもしれないし、痛みかもしれません。こうした共感こそ、人間のコミュニケーションです。 会わなくても電話や手紙(メール)でも、こうした共感は生まれますが、相手の身になることができるかというとむずかしいでしょう。やはり実際に【42】本当の共感は生まれると思います。 脳にとっても、刺激の度合いが違います。初恋の人とデートをしたときのことを【43】。胸がどきどきして、たいへん緊張したでしょう。初恋の人でなくても、好きな人に会えば脳は活性化し、ときめき状態を維持しますし、反対に嫌いな人に会うとそれなりの負の感情が生まれてきます。感情の流れが生まれ、共感も発生します。当然、脳も喜びにあふれるでしょうし、反対に嫌悪の情が流れることもあるでしょう。それだけ活性化される【44】。 やはり人には会いに行きましょう。ときめきを求めて。

1. 【41】

1. 話したとしても

2. 話そうものなら

3. 話すことで

4. 話さないかぎり

2. 【42】

1. 会うよりも

2. 会ってこそ

3. 会うまでに

4. 会っただけでも

3. 【43】

1. 思い出したくてたまらないのです

2. 思い出すのではないでしょうか

3. 思い出すしかありません

4. 思い出してください

4. 【44】

1. というわけです

2. という点です

3. とします

4. としています

寂しい片耳 澤田瞳子 久しぶりに少し、落ち込んでいる。お気に入りのピアスを片方、落としてしまったからだ。これが一人で行動している昼間なら、諦めがつくまで探しに戻るが、生憎、紛失に気付いたのは夜。それも編集者の方々に丸一日取材にご同行いただいた末、お疲れさまと入ったであった。 ようやく一息ついてらっしゃる編集者さんたちに、【41】。動揺を押し殺してさりげなく周りを見回し、やっぱりない、と片耳に触れるのが精いっぱい。朝からほうぼう歩き回った後のため、探しに行くのはどう考えても不可能で、そのまますごすごと家に引き上げた。 親しいお店で作っていただいたピアスなので、片方だけ発注する(注1)のは難しくない。【42】自分でも珍しいほど落ち込んだのは、それが三、四年ぶりの落とし物だったからだ。 ピアスホールを開けて間がない二十代の頃は、着用に慣れていなかったため、二、三か月に一度は必ずピアスを落とした。三十代からは徐々にそれが間遠になり、この数年はとんと失敗をしていない。 最初から自分の迂闊さを【43】、何を落とそうともがっかりはしない。もはやそんなことはあるまいと高を括っていた(注2)だけに、傲慢な自分がなおさら情けなくなる。顧みれば逆上がりも九九も苦手だった子供の頃は、「できないこと」 をたくさん抱えているのが当然で、どんなミスをしても平気だった。大人になればなるほど、失敗が怖く、人の眼が気になってきたのは、知らず知らずのうちに自分が「できる」 人間と考えるに至ったからかもしれない。 だがそもそも、年を重ねたから失敗をしないというのは、幻想だ。ピアス【44】、最近たまたま落とさない日々が続いていただけで、明日からは毎日紛失を重ねるかもしれない。いや、自分のうっかりエ合(注3)を考えれば、むしろその方が自然だと自分に言い聞かせながら、私はまだピアスの消えた片耳を撫で続けている。 (注1)発注する:注文する (注2)高を括っていた:油断していた (注3)工合:具合

5. 【41】

1. 気を使えはしない

2. 気を使ってなどいない

3. 気を使わせられはしない

4. 気を使わせてなどいない

6. 【42】

1. それによって

2. そればかりでなく

3. それどころか

4. それにもかかわらず

7. 【43】

1. 承知していれば

2. 承知していて

3. 承知していたのか

4. 承知していたかのように

8. 【44】

1. なら

2. だって

3. でさえ

4. といっても

一生の仕事 自分の作品を読み返さぬ日はないと言っていい。 書斎の手近な場所に全著作を収めた棚があり、読書や執筆に倦んだ(注1)ときには適当に一冊を抜き出して読み始める。退屈して寝てしまうときもあれば、仕事をそっちのけで読了してしまうこともある。 まさかナルシストではない。復読に耐えるほどたいそうな【41】。わが子はよその子よりもかわいいと思う親の情である。 読みながら勝手に感心したり、あきれ果てたり、【42】。 気に入らない点があるのなら書き直せば良さそうなものだが。どうしてもできない。単行本を文庫本にするときですら。校閲上の明らかな誤りの他にはまず筆を入れるということがない。横着なわけではなく、読めば読むほどその文章を書いていたころの自分を【43】のである。いくらか齢(注2)を食ったからといって、齢なりに懸命であったおのれの文章を滅ぼすことは忍びないし、その間いに得たものも多いが喪った(注3)ものもまた多かろうと思えば勇気も要る。 出来栄えのいかんに関わらず、自分なりに全きをめざしていたのである。そうした過去の自分には敬意を払い続けねばならないし、また同時に現在の自分は、未来の自分に恥じぬ小説を書かねばなるまい。一生の仕事【44】そうしたものであろうと思う。 かにかくに、この短い文章もいつか読み返して愕然とするのであろうが。 (注1)倦んだ(あぐんだ):疲れた (注2)齢(よわい):年齢 (注3)喪った(うしなった):失った

9. 【41】

1. 小説であってもだ

2. 小説でもあるまい

3. 小説なのであろうか

4. 小説なのではないか

10. 【42】

1. 褒めたり叱ったりする

2. 褒めたり叱ったりしたほうがいい

3. 褒めたり叱ったりするようだ

4. 褒めたり叱ったりしても仕方ない

11. 【43】

1. 否定せずにいられなくなる

2. 否定しがちになる

3. 否定できなくなる

4. 否定するようになる

12. 【44】

1. も含めて

2. でない限り

3. にしても

4. とは

以下は、作家が書いたエッセイである。 エッセイのネタのほとんどを、私は日常の中から探している。もちろん「エッセイに書いて面白いネタ」と「書いてもあまり面白くないネタ」とがある。面白いものを【41】。 つまり君は、自分が書くエッセイは全部面白いと言いたいのかね?という声が聞こえるので、さらに説明すると、面白いかどうかは、まずは「自分にとって」である。自分にとって面白いとはどういうことか。それは私の場合、「自分がそれまで知らなかったこと」を書く、【42】。 知識というよりは感覚や感情であることが多い。今まで見えなかったものが見えたとき。同じ場所なのに違う場所のように感じられたとき。ずっと眠っていた記憶。思いがけない嬉しさや悲しさや淋しさ。不意に自分の中に生まれた、世界というものへのあらたな認識。 春になったら暖かくなるとか、困っている人には親切にしたほうがいいとか、不倫はしないほうがいいとか、梅に鶯とか月に雁とか、すでに知っていることは、いくら上手に書いてもつまらない。このエッセイの、665文字という短さの中ですら、書いている途中で退屈になってきてしまう。 エッセイにかぎらず、【43】でもそうだ。理想を言えば、知らないことを「知った」という報告ではなくて、この世の謎、自分自身の謎に近づいていく過程を書いていきたいと思っているし、そのような書きかたをしているときが、結局、私は一番面白いのだ。あるいはこれは書くことにかぎらず、人生全般に対して採用したいと思っている【44】。

13. 【41】

1. 選べそうだ

2. 選び得るか

3. 選るべとよかった

4. 選ばなければならない

14. 【42】

1. というほどだ

2. というわけだ

3. ということだ

4. というときだ

15. 【43】

1. 小説

2. ある小説

3. その小説

4. そういった小説

16. 【44】

1. アプローチだとか

2. アプローチかもしれない

3. アプローチにある

4. アプローチとされているのだ

以下では、作家が書いた文章です 立場が人をつくる。とはよく言ったものだと思います。これは主にビジネスの世界で使われていることはだと思うのですが、子どもの社会でも同じようなことを感じることが多々あります。 ここ十数年、私は毎月、保育園の取材を行っていました。いま多くの保育園では0威から五成(就字前まで)の子どもを受け入れていますが、なかには0歳から二歳児までの低齢児を対象にした保育園もあります。【41】に行って驚くのは、二歳児の姿です。五成児までいる保育園の二歳児や、園に通っていない二歳児と比べると、とにかくしっかりして見えるのです。 どちらがいいとか、わるい、という話ではありません。【42】、「自分は小さい子」という環境で生活をするのと「自分は一番大きい子」という環境て過ごすのでは、やはり行動や意識に違いが出てくると思つのす。それが顕著にあらわれていると思うのは、小学校一年生へと進学したときの子どもたちです。入学前、保育園や幼稚園の年長児(注1)たったときは、少さなお友だちの着替えを手伝ったり、給食や掃除などのお当番活動を行ったり、あそびを通してさまざまな活動のなかで、いろいろな体験をつみかさねていきます。 年長児は、なんでもできるかっこいいお兄ちゃん、お姉ちゃんだったのです。 ところが、小学校に【43】、一年生は面側を見てもらう、小さくてかわいい存在になります。立場が一転するのです。 六年生に手を握られ、トイレに連れて行ってもらっている一年生のなかには、案外まんざらでもない(注2)顔で、その状況に順応している子もいます。それはそれでかわいいのですが。。。けれど、いるのです。いえ、実はたくさんの一年生が、お世話されることに対して、なんで?どうして?と感じていると思うのです。 「ぼくはわたしは大きくなったのに!」と。 そんな不満顔の一年生が、なんとも【44】。 子どもは、自分の明日に大きな期待をしている。その期待が、子どものたくましさなのではないかと思うのです。 (注1)年長児:年齢がいちばん上のクラスの幼児 (注2)まんざらでもない嫌ではなさそうな

17. 【41】

1. 保育園

2. ある保育園

3. そうした保育園

4. それ以外の保育園

18. 【42】

1. なお

2. ただ

3. ゆえに

4. それなのに

19. 【43】

1. 入学したとたん

2. 入学しておきながら

3. 入学したとしても

4. 入学してはじめて

20. 【44】

1. たくましく思えます

2. たくましいとされています

3. たくましかったはずです

4. たくましくなったものです

以下は、新聞のコラムである。 プリプリ海老 昔に比べてレストランのメニューに修飾語が増えたと感じる。「プリプリ海老の00パスタ」「とろ~りチーズ入りのハンバーグ」「XX 県産のやわらか若鶏の△△」といった感じだ。付加価値や希少価値をアピールして、商品の差別化を図りたいのだろう。 これらの修飾語は【41】食欲を刺激し期待感を高める。でもよくよく考えると、差別化の中身は実にあいまいだ。プリプリ海老の定義は?チーズはみな、とろ~りするのでは?XX県産が品質保証になるのか? 実質的な中身を伴った新商品の開発が困難になっていく高度消費社会では、見せかけの新しさで消費を刺激しようとする傾向が強まる。商品のパッケージを新しくしたり、商品名の変更が頻繁に行われたりするのも【42】消費社会とは、商品の差別化戦略によって中身の空虚な(注1)ネーミング(注2)が氾濫し、消費者がそれに踊らされる世界ではないのか。そのような社会は、私たちの言語感覚【43】変えてしまう可能性がある。商品の差別化競争に終わりがないなら、修飾語こそが肝要になる。つまり、修飾語を伴った呼称がデフォルト(注3)となり、裸の名詞が空虚に感じられるようになるかもしれない。 何十年かすれば、生物としての海老という記号は空洞化して、おいしそうな食材としての修飾語が不可欠な要素となり、「海老」は「プリプリ海老」、「海老のチリソース」は「プリプリ海老のチリソース」と呼ばれているのだろうか。 私たちは、増殖する見せかけの新しさに囲まれながら、空虚な記号と戯れ続ける(注4)しかないのか?メニューに並ぶ修飾語は、消費社会の遠い未来からの【44】。 (注1)空虚な:実質的な意味がない (注2)ネーミング: 名前を付けること (注3)デフォルト: 標準 (注4)戯れ続ける:ここでは、付き合い続ける

21. 【41】

1. むしろ

2. かえって

3. たしかに

4. ようやく

22. 【42】

1. それ以来だ

2. それだけだ

3. そのままだ

4. そのためだ

23. 【43】

1.

2. すら

3. なら

4. でもって

24. 【44】

1. 使者のようでもある

2. 使者とのことである

3. 使者だとは言えない

4. 使者にもなり得まい

長細い箱が届いた。 そう云えば、ものすごく若くて、ものすごく浅はかだった三十年ばかり前のわたしは、細長い箱に入ったバラの花(棘ははずしてある)の贈りもの、というのに憧れていたなあ。どんなひとから贈られること想像していたのか。ともかく、箱入りバラを受けとるにふさわしい女性になりたいと【41】結局、箱入りのバラを贈られることはなかった。そうだ。それを受けとるのにふさわしい女性にはなれなかった。だが、それはそれでよしとしよう。長細い箱が届いた。 さて、この目の前の長細い箱のなかみ【42】、開ける前からわかっている。長ねぎである。夫の実家(埼玉県熊谷市)の畑からやってきた長ねぎ。実家のあるあたりは、深谷ねぎや下仁田ねぎで有名な地もほど近いのを見ても、ねぎとは相性のいい土壌なのだろうか。どの季節のねぎも、おいしい。 【43】、私の大雑把な「おいしい」は丹精してねぎを育てる義父(ねぎはおもにちち担当)を喜ばせないだろう。なぜと云って、ちちにすれば、育てたねぎにはその都度、「上出来」、「普通出来」、「甘みもうちょっと」、「おいしいが細い」など、その評価に細かいランク付けがあり、ときには「いまひとつだったんよぉ」と云いながら、またあるときには「これは、よくできた」と顔をほころばせながら、手渡してくれる。だから、どのねぎに向けても、等しく「おいしい」と云うのなんかは......。 このあいだもらってきたばかりなのに、また【44】送ってくれたところを見ると、よほどの自信作なのだろう。 箱入りの長ねぎの花束である。

25. 【41】

1. 思うようだ

2. 思うからだ

3. 思ったそうだ

4. 思ったのである

26. 【42】

1.

2. なら

3. さえ

4. だけ

27. 【43】

1. 確かに

2. むしろ

3. とはいえ

4. とすると

28. 【44】

1. こうして

2. そんなに

3. あのように

4. どれも

「さっきから」ずっと家じゆうに、モノを配って歩くみたいなことをしていない?」。一日の終わリによく思う。 その日使ったものをしまうため、部屋から部屋へと動き回る。 バッグの中身も、財布、名刺入れ、手帳などはひとまとめにしておくが、それ以外の日によって違う持ちものが結構ある。 折りたたみ傘を玄関収納に戻し、保冷バッグをキッチンに戻し、ストールをクローゼットに戻し、日焼け止めクリームを洗面所に戻し、書類を本棚に戻し......。出かけるときは急いでいるのでほぼ無心だが、片付ける段になり、こんなにもあちこちからモノをかき集めてきていたのかと【41】。 元の場所へ運んで、形を整え、入れることを繰り返していると、10分や20分はあっという間。一日のうちどれくらいの時間、モノをしまうのに費やしていることか。 今日じゆうに【42】、何も死ぬわけではない。後しして消耗を仰ぎ、明日に備える方がいいのでは。 そう考え、ある晩サボることにした出張から帰ったキャリーバッグを、歯ブラシだけ抜きそのままにして寝る。 翌朝、着替えのはみ出たキャリーバッグが床にあるのを見て、どっと疲れをおぼえた。そのとき悟った。しなくていいようでいて、やはり必要な【43】。 元気は「元」の「気」と書く。一日の活動で昂ったり乱れたりした気が、本来の状態に立ち返る。モノを所定の地位置に戻すのは、その象徴的行為である。元気を「もらう」とよく言うが、私にとつて元気はまず、付加より前にリセットだ。睡眠時間が多少短くなっても、今日のうちに【44】。

29. 【41】

1. 驚くほどだ

2. 驚くようだ

3. 驚くべきだ

4. 驚くはずだ

30. 【42】

1. 片付けても

2. 片付ける限り

3. 片付けなくても

4. 片付けない限り

31. 【43】

1. プロセスだとか

2. 片付ける限り

3. プロセスだったが

4. プロセスなのだと

32. 【44】

1. 戻したかった

2. 戻すことにしていこう

3. 戻せてよかった

4. 戻すようにしてほしい

文芸の毒 「事実は小説よりも奇なり」___と言われるのは、たいていの場合、事実は平凡で小説が奇であるからこそ、いや、そうでないこともあるのだぞ、という警告を込めてのことであろう。 実物よりもそれを写した写真や絵の方が美しく、実在の悪党よりもそれを主人公として描いた小説や映画の中に出てくるそいつの方が、ずっと、悪球残虐な印象を与えるということがある。芸術の力、言葉の【41】。 私は永井和風の小品「春のおとずれ」(明治42年作)を読んだとき、かるい衝撃を受けた。生まれてこのかた、何十回もの春の訪れを実験(実際に体験)してきたにもかかわらず、荷風がたった七、ハページの文章の中で描写した春の息吹き、鼓動の一万分の一すらも私は実感したことがないということに気づいたのである。 私は荷風の文章___庭の土の色の変化+E55や庭先に生動するや野菊の様子、流れる渡る日の光、風ともつかぬゆるやかな大気の動き、驚や権の声、それらの仔細を美しい言葉にのせて綴った文章を読んで、はじめて、訪れる春の本質というものを感じ、かつ知ったような気がした。大自然を凌駕する文芸の力がそこにあった。 私の敬愛する知人の一人が【42】言った。___「昔、文学をやろうと思ったこともあったが、永井和風がいるんでやめたよ。荷風があれだけのことをやっているんだもの。おれが何か書いたってかないっこないし、またその必要もないしね。」 はじめ、冗談半分のつくりごとか、照れかくしのための大げさな言い回しかと思っていた。この言葉を聞いて二十年たち、その間、この人と文学談めいた話は二度と交わしたことはないが、このごろ、あれはホンネだったのだと、【43】。 文筆の才があり、今も若い人たちに慕われている人である。表立ったところには一切ものを書こうとはしない。著書なんかとんでもないという人である。私はこの人は荷風の毒にあたったのではないかと思う。あまりにもすぐれた文芸は、そのつよいであとに来る人の(注2)意気を阻喪してしまうことがあるのではないか。【44】明治四十二年以来、有名作家の筆になるもので、春の訪れそのものを描いた作品はほとんど見当らないようであるか? (注1)永井和風:20世紀初めから半ばにかけて活躍した小説家 (注2)意気を阻喪する:やる気を失わせる

33. 【41】

1. カでもいい

2. カである

3. カにしよう

4. カにすぎない

34. 【42】

1. あるとき

2. このとき

3. そのとき

4. あのとき

35. 【43】

1. 思うそうだ

2. 思えてきた

3. 思わせつつある

4. 思っているだろう

36. 【44】

1. もっとも

2. とはいえ

3. そういえば

4. それどころか

人間とは月のようなもの。この世を生き抜く上で知っておくべき言葉がある。まず一つは、「人間は謎」だということ。人は自分ではなんでもわかっているつもりでも、本当は自分自身のことをよく理解できていないものだ。自分で自分のことを理解できていないのに、どうして他人のことを理解できるのか。これが、【41】 一つ。 それからもう一つは「人間は月のような存在だ」ということ。自分が他人に見せている「自分」は、相手に応じて見せる「光り輝いている部分」であって、ほかのところに行けば、また【42】顔をする。上司の前では部下の顔をするし、お得意様(注1)の前に行けばそれなりの顔をする。自分だけじゃない、みんなが千変万化する(注2)ものであり、人は他人に対して、基本的には常に自分の明るい部分を見せているということだ。 他人には満月を見せていて、人という光に当たって誰もが輝いて見えているが、その裏側は黒く、暗いものだ。その暗いものを自分が持っているということを最初からわかって、【43】トその人はもう、すぐにでも心が平和になるだろう。 そうすれば、「あの人は信じられる」とか「信じられない」とか、「裏切られた」という思いもなくなる。人間社会という宇宙の上に回っていて、その人間が裏側を見せている場合もあるのも仕方のないことで、人間関係というのは引力、とかいろんなことが関係してくるということも【44】。 だからこそ「人間は謎」であり、たまには元気がなくなったりして、三日月になったりするけど、いつも光って見える。【45】裏側に、真っ暗で人に見せたくない部分を誰もが持っていて、そのすべての面を見ることは誰にもできない。 見えている部分の裏側にある面の存在を認識できていれば、変に気持ちが揺さぶられることもなくなるのだ。 (注1)お得意様:ここでは、取引先 (注2)千変万化する:さまざまに変化する

37. 【41】

1. あと

2. また

3. まず

4. もう

38. 【42】

1. 同じ

2. 別の

3. そんな

4. あのときの

39. 【43】

1. いて

2. いれば

3. いるため

4. いたとしても

40. 【44】

1. わかっていた

2. わかってきたのか

3. わかっているらしい

4. わかってくるはずだ

41. 【45】

1. しかしその一方で

2. そうしたからといって

3. 例えばこのように

4. どちらかというとむしろ

「好き」という言葉の罠 「好き」という言葉は暖味だ。意味が曖昧なわけではない。言葉に込められる感情の強さの度合いがはっきりしないのだ。ないよりはあったほうがいいという程度の「好き」もあるし、それを奪われたり失ったりしたら死んでしまうかも知れないという強烈な感情や意志を伴う「好き」もある。私事で恐縮だが、わたしは小説を書くのが好きではない。じやあ嫌いなのかというとそうでもない。おそらくそれがなくては生きていけないくらい重要で大切なものだが、非常な集中を要するのでとても好きとは言えないのだ。【41】 小説を書くことは好きという言葉の枠外にある。 子どものころから文章を書くことは得意だったが、好きではなかった。もし自分が小説を書くことが好きだったらどうなっていただろう、と考えることがある。もし好きだったら、たぶん日常的な行為になっていただろう。つまり小説を書くことが自分にとって特別なことではなくなっていただろう。【42】 小説を書くことそのものに満足を覚えるようになったかも知れない。執筆が日常的な行為と化すこと、書くことそのものに満足すること、いずれも予定調和(注1)に向かう要因となる。わたしにとっては忌避すべきことだ。 「好き」という概念を【43】。だが好きという言葉は自家撞着(注2)満足の罠に陥りやすい。程度の差はあっても、好きという感情には必ず脳の深部が関係している。理性一般を司る前頭前皮質ではなく、深部大脳辺縁系や基底核が関わっている。「好き」は理性ではなくエモーショナル(注3)な部分に依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの? どう好きなの?と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好き」が脳の深部から湧いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的な ギャップが【44】、逆に、他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。 「なぜあの人が好きなの?」「お金持ちだから」というようなやりとりを想像すればわかりやすいが、説明可能なわかりやすい「好き」は、何かを生み出すような力には【45】。 (注1)予定調和:ここでは、創造的でない状態 (注2)自家撞着:自己矛盾 (注3)エモーショナルな:感情の

42. 【41】.

1. わたしも

2. わたしなら

3. わたしにとって

4. わたしはというと

43. 【42】.

1. 実は

2. 確かに

3. とはいえ

4. もしかしたら

44. 【43】.

1. 否定してすらいない

2. 否定してはいまいか

3. 否定していたとしょう

4. 否定しているわけではない

45. 【44】.

1. 生まれそうだが

2. 生まれるのはいいが

3. 生まれるからだが

4. 生まれるかどうかだが

46. 【45】.

1. なれないという点だ。

2. なり得ないのだと思う

3. なってはいけないらしい

4. ならずに済むのかもしれない

以下は、作家が書いた文章である。 横暴な小説係 マルチタスク(注1)という言葉が世の中に行き渡るようになって久しいけれども、自分自身の実態には程違い身の処し方である。いや、テレビをつけながら、傍らに読みかけの文庫本を置き、上うわの空そら(注2)でスマートフォンを眺めつつ、晩ごはんは何にしようか、と考えているようなことはたくさんある。そういうことをやたらしてしまうために、わたしは、自分が同時にいろんなことをやるとすべての物事の達成率が著しく下がってしまっていることを熟知している。 なので以前、自分しか見ないメモ帳には、分別のある自分が「スマホを見るときはテレビを【41】」と書いていた。守ったり、守らなかったりだ。 一日のうちに、いろいろな自分が出没しては退場していく。家事をしている自分、風呂で休んでいる自分、テレビを見たり本を読んだりと娯楽に接している自分、そして仕事をしている自分なとそれぞれに淡々とがんばっているが、中にはひどい【42】もいる。 わたしがいちばん持て余しているのは「小説を書く係の自分」である。それを職業にしているのに身も蓋もない情けない話なのだが、本当にこいつは扱いにくい。ゲラ(校正紙)を見る係は心配性なので一日のノルマを越えて仕事をしたりもするし、書評係などは、真面目すぎて気の毒なぐらい考え込む時がある。随筆係は、ぐずぐずしたところはあるが、そんなに時間帯や備品のコンディションは問わない。 【43】、小説係は「まずお茶とお菓子だ」などと要求し、真夜中でないと仕事はしないとわがままである。しかもすぐに気が散って、動物の画像を検索したがる。そして落ち込みやすい。「文筆課の他の係を見習えよ」とわたしは思う。しかし、この係を中心に結成された文筆課なので、今更組織図から【44】。 ダメな社内ベンチャーのようなものである。今日もわたしは、小説係のためにお茶を作り、お菓子を調達し、「とにかく書かないと出来不出来はわからないよ」と【45】。 (注1)マルチタスク : 複数の作業を同時に処理すること (注2)上うわの空そら:集中できていない状態

47. 【41】

1. 消してもかまわない

2. 消せなくて

3. 消すように

4. 消さないのではないか

48. 【42】

1. やっ

2. そいつら

3. そんなやっ

4. そんなやつら

49. 【43】

1. ゆえに

2.

3. とはいえ

4. また

50. 【44】

1. 外すべきではなかった

2. 外していないはずだ

3. 外したとは思えない

4. 外すわけにもいかない

51. 【45】

1. 励ます

2. 励ましたいのに

3. 励ますからだ

4. 励ましただろうか。

装飾という架け橋 「自然には直線がありません」 子どもの頃テレビから聞こえた言葉に、幼いながらはっとしたことを覚えている。その情報が正しいのかを確かめるために、それ以来自然をよく観察するようになった。地を這う蟻や、道ばたの植物、切り立った崖の岩に、たしかに完全な直線と呼べるものは【41】。そして自分の身体にも直線が存在しないことに気づいた。爪の一枚から歯の一本、耳の内部にいたるまで、全ての輪郭はゆるやかな弧を描いている。 【42】、身の回りには直線が溢れてもいた。机や鉛筆、黒板、箸やマグカップ、お菓子の箱に直線は存在していた。自然の造形と人工の造形に明確な差異があることを理解したのは【43】。大人になるにつれて、そんな人工物の表面を覆う「装飾」に関心を持つようになった。植物や動物、空や星をかたどった色とりどりの模様に目を奪われたのだ。装飾の歴史は古く、紀元前に作られた土器の模様は、装飾が人類にとっていかに根源的な行為であるかを示している。 【44】 最古の装飾は魔除け(注1)のために用いられたのだという。そうと知って最初のうちは、人の手跡(注2)を残すことが魔除けのために重要なのだと考えていた。しかし、たとえば縄文土器がその模様から火焔土器と呼ばれるように、他の渦や縞の模様も、雲の流れや水の波紋など自然の織り成すかたちに着想を得たものである。つまり人間は、土器という人工の造形に自然のかたちを刻むことで魔除けとしたのだ。自分たちの手作った自然とは異質な造形を自然に溶け込ませることが、邪悪なものを遠ざける道であったのである。 歴史上、装飾は余分なものとして排除されたこともあった。しかし実のところ、装飾は私たちの造形と自然の造形とをつなぐ架け橋という至要な(注3)役割を【45】。 (注1)魔除け:悪い物を近づけないようにすること (注2)人の手跡:人の手を加えた跡 (注3)至要な:とても重要な

52. 【41】

1. 見つけられなかった

2. 見つけられなくなった

3. 見つけないようにした

4. 見つけようとしなかった

53. 【42】

1. むしろ

2. 一方で

3. しかも

4. それどころか

54. 【43】

1. その時ぐらいである。

2. その時だからである

3. その時のためである

4. その時のことである。

55. 【44】

1. その他の

2. 例の

3. こうした

4. 以下のような

56. 【45】

1. 持っているのだ

2. 持っているべきだ

3. 持っていてほしい

4. 持っていてもかまわない

以下は、飼っている犬について、ある声優(注)が語ったことをまとめたコラムである。 職場の同僚の飼っている犬が子犬をたくさん産んだというのを父が聞きつけて、「こいつが一番かわいかった」と勝手に連れてきました。 大学に通いつつ仕事を【41】ある作品で演じた役名から「直司」と名付けました。日本人の名前で祖父も覚えられると 【42】。 僕は末っ子です。直司はわが家では年齢や立場が一番下になるので、自分 【43】 もう1人いるような感じです。実家にいたときは僕が散歩に連れて行きました。前にも犬を飼っていたのですが、小さかった頃は犬が怖くて、好きになれませんでした。でも直司は自然となついてくれました。 家が好きで、居間によくいます。雪が降った時、好奇心で外で走り回るかと思ったら、気持ちよさそうに舌を出してこたつで寝ていたこともありました。こたつから顔だけ出して寝ている祖父と同じような格好をして。 家を出てからは実家にまめに電話して「直司、元気?」と父や母に 【44】。帰省した時は、たわいないことを話しかけますが、愚痴は言いません。言葉の意味はわからないと思うけれど、人が言われて重い言葉は犬もストレスを感じると思うので。 性格はおとなしいけど、メス犬が好き。目を離したすきに、ばっと近所のメス犬の方へ駆け寄っていくことがあります。シェパードの警察犬を演じたことがあるんですけど、その時は直司の様子や鳴き声が参考になりました。そのシェパードもスケベな性格だったものですから。 きれいごとのように単にかわいがるのは嫌いですが、ほっとけない存在です。直司の残りの人生もできるだけ近くに 【45】。 (朝日新聞2013年5月23日付夕刊による) (注)声優:アニメのキャラクターなどの声を演じる俳優

57. 【41】

1. していたはずでした

2. していたからでした

3. していたころでした

4. していたぐらいでした

58. 【42】

1. 思います

2. 思うようです

3. 思うのに

4. 思って

59. 【43】

1.

2.

3.

4. だけ

60. 【44】

1. 聞いてます

2. 聞いてきます

3. 聞いてくれます

4. 聞かれてます

61. 【45】

1. いたいです

2. いたがっています

3. いたのです

4. いたことです

以下は、小説『望月青果店』(小手鞠るい著)についての書評である。 思春期の頃ころ、母親の存在を疎ましく(注1)思った。初めて恋をした頃ころだった。恋するという感情が嬉うれしいような恐ろしいような気がしていて、何かのせいにしたかったのだと思う。自分の中には母親と同じ血が流れていて、だから恋なんかするんだ、全てお母さんのせいなのだと変な理屈で恋心を納得させようとしていた。 本書の主人公・鈴子【41】 母親は天敵のような存在で、母からいつも逃げたいと思っていた。そして結婚に猛反対した母を捨てるような気持ちで誠一郎と一緒になったのだ。 50代になった鈴子は、盲目の夫・誠一郎と盲導犬の茶々とアメリカでペンションを経営しながら穏やかな日々を過ごしている。【42】、小さな青果店を営む岡おか山やまの実家から母親の体調が悪いことを知らされ、5年ぶりの里帰り(注2)を計画するのだが、大雪による停電が続き里帰りは危ぶまれる。 停電の中で様々な過去の記憶が甦る。母との確執、初恋の人・隆史と交わした約束...。過去の記憶を過ぎたことと忘れてしまえればどんなに楽かと【43】。 記憶は塗り変えることが出来ないから厄介で、いつまでも胸を締め付ける。思春期の頃に母親に投げかけた酷ひどい言葉がふとした時に生々しく心の中に甦って居たたまれないような気持ちになる(注3)ことがある。【44】、記憶は塗り変えられないけれど、新しい記憶を育むことは出来る。 停電の中で鈴子は、結婚前に再会した隆史が時間を超えて果たしてくれた約束を思い出す。それは、母から誠一郎へと旅立つ鈴子の背中を強引に押してくれた。誰にも言えない秘密の思い出だった。 記憶は人の心を締め付けることも温めることも出来る。誠一郎との暮らしの中で育まれてゆく静かで豊かな幸福な時間は、鈴子の母への思いを少しずつ和らげてくれる。物語の最後で交わされる母娘の電話の会話はとっても可愛くて微笑ましかった。本を閉じた後、【45】 車を実家に走らせた。 (注1)疎ましい:いやな感じがして避けたい (注2)里帰り:実家に帰ること (注3)居たたまれないような気持ちになる:ここでは、落ち着いた気持ちでいられなくなる

62. 【41】

1. ではないが

2. と同じく

3. とは違って

4. にとっても

63. 【42】

1. ある日

2. あの日に

3. こうして

4. そうやって

64. 【43】

1. よく思う

2. よく思うらしい

3. 思った場合だ

4. 思っただけだ

65. 【44】

1. それに

2. ただ

3. だって

4. まして

66. 【45】

1. 鈴子は会いたくなって

2. 鈴子は母親に会いたくなって

3. 母親に会いたくなって

4. 母親は鈴子に会いたくなって

近くの商店街を歩いていたら、新しい店ができていた。お好み焼き屋のようだ。さりげなく覗くと、客はまばらで、しらじらとした灯りがテーブルに反射している。一緒にいた友人と「大丈夫なのかな、こういう店」などと言いながら通り過ぎようとしたら、突然ドアが開いてエプロンをした若者が飛び出してきた。「よろしくお願いしますッ!」と店のカードを差し出す。勢いにのまれて受け取ると、ぺこりと一礼して戻っていった。店を覗いていた私たちに気がついて、反射的に店から【41】。 「やるねえ、あの子」と友人。彼女は企業の管理職である。理屈ばかりで身体が動かない若者が多いとぼやき(注1)「ああいうのが一人、部下に【42】」と言った。「ほんとほんと」と私。 【43】だって若いころは、考えることと身体が動くことの間に時差がなかった。駆け出しの編集者時代、ロケやスタジオ撮影の現場では、指示されるより先に走りだしたものだ――。友人に向かって自画自賛しながら、頭の隅で思っていた。本当は今だって、そうじゃなきゃマズイんじゃないか、と。 フリーランサー(注2)の私は、一生、管理職になることはない。アルバイトか店主かは知らないが、あの若者と同じ立場なのだ。【44】いつの間にか、ひどく腰が重くなっている(注3)。 よし、明日からは臨戦態勢(注4)でいくぞ。見習うべきは【45】。思わず苦笑した。しかし気分は悪くない。若者よ、ありがとう。 (日本エッセイストクラブ編『散歩とカツ丼ー10年版ベストエッセイ集』による) (注1)ぼやく:不満に思っていることを独り言のように言う (注2)フリーランサー:組織に所属せず個人で仕事をしている人 (注3)腰が重くなっている:行動を起こすのが遅くなっている。 (注4)臨戦態勢:ここでは、いつでも動けるように準備ができている状態

67. 【41】

1. 飛び出してくることもあった

2. 飛び出してくるかもしれなかった

3. 飛び出してきたほどだ

4. 飛び出してきたのだろう

68. 【42】

1. いたとしてもね

2. いたらなあ

3. いたとはなあ

4. いたんだけどね

69. 【43】

1. 彼女

2. 部下

3.

4. あの子

70. 【44】

1. すると

2. なのに

3. こうして

4. それどころか

71. 【45】

1. あの若者だ

2. あの若者だからか

3. あの若者だそうだ

4. あの若者だと思っていた

十人十色 マニュアルというものが、この世には存在する。機械を買った場合には、これを読む。書かれてある通りに動かないと困る。ビデオの再生ボタンを押したのに、録画が始まってはたまらない。ところが、生き物はそうはいかない。あちらに通用したことが、【41】。 うちで、ねこを飼い始めた当座は、何も分からなかった。吐いたりすると、それだけでびっくりしてしまった。あわてて、ねこを飼っている人に電話した。一番にかけたところが留守だと、ますます、動揺する。結局、関西の知り合いにまでかけて、 「心配ありませんよ。ねこは吐くものですよ」 という言葉をいただき、やっと安心。こんな具合だった。 さて、【42】時に、当然のことながら「ねこの飼い方」の本も読んだ。マニュアルである。なるほどーと思えることが書いてある。中でも納得したのが、【43】。 「動物にとって、用足ししている(注1)時は、最も無防備な状態(注2)です。襲われたら大ピンチ。その最中、人に近づかれることを、ねこはとても嫌います。飼い主は、離れるようにし、のびのびとした気分でさせてやりましょう」これは領ける。そこで、ゆずが一うちのねこの名前はゆずというーそうする時は遠慮していた。 【44】。朝、ねこトイレ(注3)の砂をかきまわし、汚れ物を取り始めると、「ご苦労」というように、ゆずがやって来る。そして、まだトイレに手を入れているのに、「どけどけ」というように中に入ってくる。そして、足を踏ん張り、一行うのだ。これ見よがしに(注4)。 あの説得力のあるマニュアルは、一体全体、何だったのか。なるほど、生きている物には個性があると、あらためて【45】。 (北村薫『書かずにはいられない一北村薫のエッセイ』による) (注1)用足ししている:大便や小便をしている (注2)無防備な状態:危険に備えていない様子 (注3)ねこトイレ:箱の底に砂などを敷いた、ねこ用のトイレ (注4)これ見よがしに:自慢げに見せつけるように

72. 【41】

1. こちらにはいえないこともない

2. こちらにいえるとは限らない

3. こちらにもいえるとは思わなかった

4. こちらにはいえないと思うのか

73. 【42】

1. そういう

2. する

3. あの

4. やろうという

74. 【43】

1. トイレのことだ

2. トイレのことであるに違いない

3. トイレだからである

4. トイレだと聞いている

75. 【44】

1. もっともである

2. 当然である

3. ところがである

4. 例えばである

76. 【45】

1. 認識させられたことがある

2. 認識させられたおかげだ

3. 認識させられる話があった

4. 認識させられる出来事だった

以下は、「夫婦格差社会」(橘木俊詔、迫田さやか著)についての書評である。 貧困問題や格差問題は、個人単位で語られることが一般的だった。本書は、日本の格差研究の第一人者が、夫婦単位で格差問題を考えることの重要性を訴えるもの【41】。 これまで経済学の研究者の間では、結婚は所得格差を縮小するという説が有力だった。その理由は、夫の稼ぎの多寡(注1)が妻の就労に影響すると考えられてきたからである。【42】、夫の所得が多ければ、妻は専業主婦となり、逆に少なければ妻が家計を助けるため働きに出るということだ。 著者らはさまざまな統計を駆使しつつ、この仮説の妥当性を検証していく。まず、近年では、夫の所得が増えても妻の有業率(注2)が下がっていないことを示す。結婚後も女性が働きつつけるここが以前より一般的に【43】。次に、働いている妻の所得格差が年々大きくなっていることから、妻の就業によって夫婦の所得格差は広がる可能性が高いことを示す。そして、日本にも高所得者同士のパワーカップル、低所得者同士のウィークカップルが少なからず存在するため、夫婦単位の所得格差にさらに拍車がかかっていると説明する。【44】生まれる格差は若年夫婦で群を抜いて大きい。 離婚が所得格差に与える影響を分析しているのも本書の特徴だ。外国と異なり、日本では低学歴のカップルほど離婚率が高いという。さらに、夫の失業も離婚率を高める原因となるそうだ。これらはともに貧困につながる。「金の切れ目が縁の切れ目」と著者はいうが、なんともやりきれない気持ちにさせる。 このように格差や貧困をテーマとするだけに、本書にはどうしても暗い話題が多くなりがちだ。しかし、それでも最後まで読者を引きつけるのは、その行間から経済的弱者に対する著者たちのやさしい目線が伝わってくるからだろう。 今後の日本社会のあるべき姿を考える上でも大いに勉強になる【45】。 (中島隆信読売新聞 2013年3月24日付朝刊による) (注1)多寡:多いか少ないか (注2)有業率:仕事に就いている割合

77. 【41】

1. だからなのか

2. であったのか

3. だからであろう

4. である

78. 【42】

1. もっとも

2. しかも

3. すなわち

4. それどころか

79. 【43】

1. なってきたのだ

2. なると考えるはずだ

3. なっていたはずだ

4. なっていると思うのだ

80. 【44】

1. こうして

2. ああして

3. これらまで

4. あれらから

81. 【45】

1. 一冊がいい

2. 一冊といえる

3. 一冊でありたい

4. 一冊を知っている

ずーっと刻まれる「母の愛」 友人からの深夜の電話。彼女は息子の小1のときのクラスメートの母親で、いわゆるママ友である。お寿司屋さんの彼女とは家族ぐるみのつき合いで、もう20年以上が経つ。仕事を持つ私たちが自分の時間を持てるのは、決まって深夜。いつも真夜中にいろいろなことを話し、助け合いながら生きてきた。 【41】息子が一人暮らしを始めた。育ち続けるのだそうだ。お祝いを兼ねてアパートを訪ね、夕食を作り、洗濯をし、汗だくになって真新しいカーテンをつけ終えたという。そして帰る母親に彼は一言「じゃあね」。その「じゃあね」に頭にきたと。なぜ、「お母さんありがとう」と言えないのだ。【42】と、寂しくなったという。彼女自身は幼い頃に両親が離婚し、父親の元で育ち、中学から家事一切を任されていた。彼女の洗濯物のたたみ方は今でも見ていて美しく、気持ちがいい。子供たちにはできる限りのことをしてあげたいと、いつも一生懸命やってきたという。それでいいんだよ」。そう答えながら、私には突然、自分が7歳のときの光景が蘇った。 【43】、私の母も働いていた。ある日、初めて友人が家に遊びに来ることになり、前の晩一緒にお風呂に入りながら、母にそのことを告げた。「明日ね、○○チャンと○○チャンと...」。母は黙って【44】。翌日帰宅すると、テーブルの上の紙皿に、人数分の数種類のお菓子がきれいに並べられていた。手作りのケーキや高価なお菓子でもなんでもないけれど、私は自慢げにみなに言った。 「さあ、おやつですよー」 そうなのだ。愛情は突然蘇り、胸いっぱいに広がり、生き続けるものなのだ。彼女の息子への愛も、これからずーっと彼の心で【45】。 (大竹しのぶ朝日新聞2013年7月19日付夕刊による)

82. 【41】

1. 私の

2. そんな彼女の

3. クラスメートだった

4. その友人だった

83. 【42】

1. 「じゃあね」はないだろう

2. 「じゃあね」も言えないのか

3. 「じゃあね」とは言っただろう

4. 「じゃあね」じゃなかったのか

84. 【43】

1. また

2. 例えば

3. 当時

4. 今度は

85. 【44】

1. 聞くだけだった

2. 聞きたそうだった

3. 聞くようになった

4. 聞くかと思った

86. 【45】

1. 育ち続けるのだそうだ

2. 育ち続けるというのだ

3. 育ち続けるからかもしれない

4. 育ち続けるに違いない

これがおもしろいんだ! 毎年夏になると自宅の書斎で、自分が作ったものがたりを語る会をしている。 自宅のある山梨県の小淵沢は高原で涼しいし、参加自由だし、というわけで大勢の大人や子どもが連日来てくれる。 去年の夏のこと。近くの別荘からおばあさんといっしょにしょっちゅう通ってくる小二(注1)の男の子がいた。とてもお話好きらしい。 だから、その子が来ると、ぼくも考えて、初めての話をするようにしていた。 ところが、それが重なるとだんだんこちらも手持ちの話がなくなってくる。ないわけではないけれど、今年の新作は限られているし、他の人にも新作を聞いてもらいたい。 【41】、来てくれた人を見渡して、その男の子にだけもう一度同じ話を聞くことを我慢してもらえば、他の人におもしろい話ができることに気がついた。 そこで、彼には悪いなあと思いつつ、「八ヶ岳の霧という話をします」ときりだした。 すると、男の子は顔面をくしゃくしゃにして、【42】 。「これがおもしろいんだ!」 そのとたんにぼくは悟った。ぼくは彼を見くびって(注2)いた。同じ話をして、【43】 。 お話を聞き慣れていない子は知っている話にぶつかったとき、「あ、それ、知ってる!」という言い方で終わりにする。 あらすじを知ることがお話を知ることだと思い、すべてを消費していくだけなのだ。 でも、【44】は違った。お話で大切なのはあらすじではない。 あのいいまわし、あの呼吸、あのどきどき感、あのばかばかしさ。それを何度でも味わうことなのだ。だから落語好きは知っている話を聞くために何度でも寄席(注3)に通う。 あとから同じ道を歩いてくる、いい仲間に【45】。 (杉山亮『母の友』2008年2月号による) (注1)小二:小学校の2年生のこと。年齢は7、8歳 (注2)見くびる:ここでは、相手を実際よりも低く評価すること (注3)寄席:落語を観客に聞かせるための場所

87. 【41】

1. その前に

2. そんな日には

3. あのあと

4. あるとき

88. 【42】

1. 嬉しくなった

2. 嬉しそうにこういった

3. 嬉しくなるものだ

4. 嬉しそうにこういうものだ

89. 【43】

1. 決して悪くなかったためだ

2. 果たしてよかったのだろうか

3. 全然悪くなかったのだ

4. まだよかったのではないか

90. 【44】

1.

2. 子ども

3. 大人

4. 自分

91. 【45】

1. 出会いたくてたまらなかった

2. 出会えたと思った

3. 出会ってもよかった

4. 出会えたおかげかもしれなかった

以下は丑年の2009年1月7日に新聞に掲載された文章である。 牛の気持ち 子供の頃十二支の民話(注1・2)を聞いたとき私が気になったのはとにかく牛のことだった。牛は「自分は歩くのが遅いから早めに出発しよう」とずいぶん早いうちから出発した。そして一着でゴールする寸前であったにもかかわらず自分の背中に乗っていた鼠に先を越されてしまう。 牛がどんな気分だったかと考えると切なくて仕方がない。自分の地道な努力が利用されることはさぞかし悔しかったはずだと【41】。がそのことを話すと母は「牛はあまり気にしなかったんだよ。十二支には入れたし。「モーいいか」と思ったくらい」と答えた。少しほっとした。確かに十二支の一番目が二番目に比べて特典があるとも思えない。怒るほどのことでも【42】。 さて先日子供が指を怪我した。軽い打撲だとは思ったものの小心者の私はすぐに整形外科へ向かった。車を走らせ医院に辿り着くと駐車場がいっぱいでこれは混んでいるなと焦った。エレベーターに乗ると向こうから走ってくる男性がいる。閉まりかけの扉を開くが相手は礼も言わずに乗り込んできて目的階に到着すると当然のように先に降りさっさと受付へと向かってしまった。 「こちらのほうが先に来ていたではないか!」と言葉が出かかった。【43】頭を過ぎったのが牛のことだ。「ゴール寸前で追い抜かれた牛はこの程度のことは気にかけなかったはずだ。ここは『モーいいか』の精神だ」と思えたのだ。なるほど牛のおかげで【44】と私は気を良くし(注3)その後「十二支の民話」の本を探した。読んでみると追い抜かれた牛の場面には「とても悔しがり『モーモー』と怒りました」と書いてある。何と牛【45】怒ったのだ。そのことにショックは受けた。が怒るべき時は怒るこれも大事なことだなと私は調子よく考える。今年の私の目標は「モーいいか」と「もう怒りました」をバランス良く使い分けることだ。 (伊坂幸太郎 『3652――伊坂幸太郎エッセイ集』による) (注1)十二支:十二年で一回りする暦。一年ずつを異なる動物で表す (注2)十二支の民話:十二支の動物を競争で決めたという話。一番目が鼠で二番目が牛になった (注3)気を良くする:いい気分になる

92. 【41】

1. 子供から感じられた

2. 子供のことで感じていた

3. 子供ながらに感じた

4. 子供だったら感じただろう

93. 【42】

1. ないのかもしれない

2. ないからだという

3. ないと思わせたい

4. ないとしなかったか

94. 【43】

1. 一度

2. そこで

3. さっき

4. 必ず

95. 【44】

1. 助かってきた

2. 助かっていったわけだ

3. 助かっていたかなんだ

4. 助かった

96. 【45】

1.

2.

3. より

4. ぐらい

銀杏(注1)が衣を脱ぐ時 毎年、秋も深まって朝夕の冷え込みが厳しさを増す今時分になると、北の郷里の菩提寺の境内(注2)にある銀杏の巨木のことが気にかかる。 【41】その銀杏が老木だから、台風でもきたら大枝が折れやしないかと心配するのではない。今年の落葉はもう終わったか、どうか。まだなら、落葉するまでにあと何日ぐらい間があるだろうか。そう思って【42】。 その銀杏は大木だから、葉を厚く繁らせていて、秋の黄葉はまことに見事である。それに、落葉の光景も思わず息を呑むほどのものであるらしい。私はまだ見たことがないから、予定が立つようなら、いちど出かけてみてもいいと思っている。けれども、銀杏としても落葉の予測などつくわけがないだろう。 一枚や二枚の落葉なら話は別だが、この銀杏の葉は、短時間で一枚残らず落ちてしまうのだから。 霜が降りたのではないかと思われるほど冷え込みのきつい、かんと晴れ渡った【43】裏山から昇る朝日の光芒が、庫裏(注3)の屋根を乗り越えて境内へ降りてくる。 まず、銀杏の一番てっぺんに朝日が当たる。【44】、暖められた葉が一枚、ひらと枝先を離れて、舞い落ちる。それを合図に、陽を浴びた葉が次から次へと落ちはじめる。ひっきりなしに落ちる。 銀杏は、しばしさわさわという落葉の音に包まれる。まるで分厚いこがね色の衣を足元へ脱ぎ落とすかのように、銀杏はみるみる裸になっていく。 銀杏に訊きたい。今年の落葉は【45】。 (注1)銀杏:イチョウ科の落葉高木。中国原産 (注2)境内:社寺の境域の内 (注3)庫裏:寺の台所。転じて、住職や家族の居間

97. 【41】

1. 気にかかるだろうが

2. 気にかかるわけがないし

3. 気にかかるといっても

4. 気にかかるかはともかく

98. 【42】

1. 気が揉めるのである

2. 気が揉めそうだから

3. 気を揉むとか

4. 気を揉むようなものだ

99. 【43】

1. 朝だとはお思いのはずだ

2. 朝だと思って頂きたい

3. 朝だったとは思いも寄らなかった

4. 朝だったとお思いのようだ

100. 【44】

1. かえって

2. かわりに

3. ただし

4. すると

101. 【45】

1. いつがよかったのか

2. どうにかできなかったのか

3. いつごろになろうか

4. どうにかなろうか

以下は、『人生相談万事OK』といの本に書かれている質問と、それに対する回答である。 Q-70:犬が嫌いです。 夫の実家は、大の犬好きで家の中で放し飼いにしています。 しかし私は大の犬嫌い。昔、母が「近づくとかまれる」と言っていたこともあります。犬は見抜いているのでしょう。ほかの人にはキュイーンと甘えるのに私だけには吠えまくります。私はこの実家のものとして失格でしょうか。たかが犬、されど犬。かなりのストレスです。 (いまいち、28歳) A-70:犬クッキ一手なずける。 パブロフの犬という有名な実験がありました。ベルを鳴らして餌を繰り返したら、しまいに犬が、ベるの音を聞いただけで、餌を与えなくてもよだれ(注)を出すようになったというのです。あれを応用します。 ペットショップへ走り、おいしそうな犬用のクッキーを、【41】。それを夫の生家に行くときは必ず持参し、ポケットに入れておきます。 【42】あなたが取るべき態度は、吠えられても、動じないってことです。手をひっこめたり、叫び声を上げたり、逃げ腰になったりしちゃいけません。犬に足元を見られます。といって、犬の目をまっすぐ見てはいけません。犬は威嚇されてると思い込むものなんです。この辺、人間の常識は通じませんから、目は合わせない、それが【43】礼儀作法です。 さて、吠えられても動じず。目をそらしつつ、手のひらに犬クッキーをのせて差し出します。犬の歯が当たらないので、指で、つまんでやるよりこわくない。あなたは今後、その犬にあったら必ず犬クッキーをやることにします。それを繰り返すうちに、犬は、あなた、イコール、クッキーってのを学習し、やがて、【44】でしょう。 以上は、よく吠えるうちの犬に対して、犬嫌いの友人が試みたことです。いまだに友人の顔をみると吠えますが、それはクッキーほしさの吠え声で、もらえばたちまちおとなしくなります。友人もそれがわかってるので、怯えなくなりました。 クッキーをやったら、後は無視します。無理はしません。犬好きがいるように犬嫌いが、【45】。 (注)よだれ:つば、口から流れ出る液体

102. 【41】

1. 買ってきたわけです

2. 買ってきましょう

3. 買ってきたはずです

4. 買ってくるのでしょう

103. 【42】

1. だから

2. つまり

3. その上で

4. そのために

104. 【43】

1. 犬の

2. この犬の

3. その犬の

4. あの犬の

105. 【44】

1. 家の中で飼えるようになる

2. よだれを流して迎えてくれる

3. クッキーを差し出せるようになる

4. ベルの音を聞いてすぐ食べてくれる

106. 【45】

1. いるのでしょうか

2. いればよかったんです

3. いたのではないでしょうか

4. いたっていいんです

わが国では一般に、日本人が外国語を話せないのは、教育の技術が悪いからだと信じられている。はたして【41】。確かに教育にも問題があろう。しかし、たとえばつぎの四点を実行【42】、どんなに「会話」がうまくても、国際的な場所では傾聴(注)されないだろう。 - 1. 自分の考えを論理的に表現する【43】。 - 2. 遠慮せず議論に割りこむ【43】。 - 3. 地の人とひと味違った発言をする【43】。 - 4. 五分に一度は聴衆を笑わす【43】。 この四点は、考えようによっては、外国語を話すよりも難しい。【44】 わが国では、語るには情をもってし、つねに控え目で、皆と同じことを行い、まじめでふざけないことが評価され、美徳とされているからだ。 こう考えてみると、日本人の外国語下手は、教育技術の問題というよりは、もっと深い文化の問題【45】と思うのである。 (小林善彦 「なぜ下手か日本人の外国語』 1992)年 8月2)1日付朝日新聞タ刊による) (注)傾聴: 真剣に聞くこと。

107. 【41】

1. そうであろう

2. 何であろう

3. そうだろうか

4. 何だろうか

108. 【42】

1. すれば

2. しなければ

3. しても

4. しなくても

109. 【43】

1. のだ

2.

3. こと

4. ところ

110. 【44】

1. それなら

2. したがって

3. このため

4. なぜならば

111. 【45】

1. ではないか

2. であるべきか

3. ではない

4. であるべきだ

大人時間 今年は一回しか踊れなかったのだけれど、毎年、盆踊り(注1)を楽しみにしているのだった。 盆踊りが上手な友人がいるので、いつも彼女の後ろに張り付いて踊っている。踊りに行く場所はいろいろ。でも、たいてい東京の下町ばかりを選んでいる。踊っている人たちの感じが好きなのである。地元の方が多いのは当たり前なのだけれど、下町の会社にお勤めの人々が、仕事帰りにふらっと踊っていたりするのが面白いのだった。肩からバッグをぶら下げながら踊るOL(注2)さんたちの、かわいらしさと言ったら! 盆踊りは、一見、老若男女が楽しめるイベントのようだけれど、実はそうじゃない、とわたしは思っている。【41】のものなのである。 盆踊りって、まあ、どこも6時半くらいから始まるのだが、8時過ぎくらいになると、子供にお菓子を配る時間がくる。 それが合図なのだ。子供の時間は終わったのだ、という合図。 あからさまに「子供は大人の邪魔するな」なんてことは言わないのだけれど、【42】雰囲気が盆踊り会場にただよってくる。今まで、「さぁ、踊って踊って」と、恥ずかしがる子供たちを踊りの輪に入れていた大人たちが、子供に声をかけなくなる。 子供にお菓子が配付された後、やがて、大人たちが本気で踊りはじめるのだった。 踊りの難しい曲が多くなる。『炭坑節』など、渋い踊りも多くなる。そうなるにしたがって、まわりで立って見ていただけの大人たちが、ひとり、またひとりと踊りの輪に加わりはじめ、盛上がってくるのだった。 【43】、わたしは自分の子供時代を静かに思い出す。 大人時間になった盆踊りが、とってもかっこよかったこと。難しい踊りになって、仕方なく躍りの輪から外れ、母親や、近所のおばさんたちが、もくもくと踊っている姿を見ていた。子供の出番はないのだと【44】。子供はでしゃばる(注3)んじゃないよ!っていう、大人たちの態度。大人(特におばさんたち)がうらやましかったあのときの気持ち。記憶から消えないまま、いい思い出になってわたしの心に残っている。 大人が主役になる時間って、悪くないなと思う。子供に歩み寄ってばかりじゃ、大人になった甲斐がないと【45】。 (益田ミリ『前進する日もしない日も』による) (注1)盆踊り:夏のお盆に行われる行事。参加者が輪になり、音楽に合わせて踊る (注2)OL :女性の会社員 (注3)でしゃばる:目立つ必要がないのに、目立とうとする

112. 【41】

1. 下町

2. 盆踊り

3. 大人

4. 彼女

113. 【42】

1. その年の

2. そういう

3. あの町の

4. あれのような

114. 【43】

1. そして

2. なにしろ

3. あるいは

4. おそらく

115. 【44】

1. 思わせたかった

2. 思わないだろう

3. 思われてもいい

4. 思わされた

116. 【45】

1. するわけだ

2. いうものである

3. するかどうか

4. いおうとしない

広告主の品位 きょうはCMの中身ではなく、CMの出し方について、広告主の人たちにお願いをしたい。 番組の途中にCMが【41】。が、モンダイはその入り方のタイミングだ。たとえば、歌やものまねのうまさを競い合う番組の中で、いざ、審査員の点数が出ようとするその直前に、ポンとCMが割って入る。あるいは、クイズ番組の中で正解が発表されようとするその瞬間に、サッと画面がCMに入れ替わる。ああいうせこい(注1)ことは【42】。 あれは広告主がやっているわけでなく、番組を作っているテレビ局の人の考えでやっているんだろう。が、それだったら、そういういやらしいCMの入れ方はしないでほしいと、テレビ局の人に注文をつけてもらいたい。 【43-a】、みんながテレビの前で身を乗り出している瞬間にCMを入れれば、見られる【43-b】。が、わざわざ番組の流れを断ち切り、視聴者の感興(注2)をそいでまで強引にCMを見せようとするやり方って、さもしくないだろうか。みっともなくないだろうか。 CMのセンスは、企業のセンスのあらわれである。それはCMの中身だけでなく、CMの出し方にも言えることだ。せっかくいいCMを作っても、ああいう出し方をされると、なんと視聴者をバカにした企業だろうと思われてしまう。いやおうなしに【44】ああいうやり方は、極端に言えば暴力みたいなものであって、消費者を大切に思う企業のやることじゃない。 近ごろハヤリの言葉で言えば、これは企業の「品位」にかかわるモンダイである。【45-a】だけじゃない、【45-b】だいぶ前から、「品がねえぞ」と怒ってるよ。 (天野祐吉朝日新聞2008年4月15日付朝刊による) (注1)せこい:ずるい (注2)感興をそぐ:何かについて持っている興味をなくさせる

117. 【41】

1. 入るのにいい

2. 入るのがいいのか

3. 入るのはいい

4. 入るのでいいのか

118. 【42】

1. やめようと思う

2. やめてほしいのだ

3. やめるのだろうか

4. やめられるものではない

119. 【43】

1. a やはり / b ところだった

2. a いったい / b のか

3. a といっても / b わけでもない

4. a たしかに / b ことは間違いない

120. 【44】

1. 見させてしまう

2. 身を乗り出させる

3. 見られてしまう

4. 身を乗り出される

121. 【45】

1. a ぼく / b みんな

2. a 広告主 / b みんな

3. a 広告主 / b ぼくも

4. a ぼく / b 広告主も

以下は、作家有栖川氏が友人の野間氏似当てて書いた手紙である。 (前略) ご無沙汰していますが、お変わりありませんか。 こちらは元気でやっています。先にハガキでお知らしたとおり、三月に引つ越しをしました。大阪にくることがればぜひ立ち寄ってください。積もる話もあるので、泊まりがけで着てもらえるなら、なお歓迎します。 さて、お送り下アモン. デユールUの、「ウルフ. シデイ」ハ、大学時代に【41】借りたもの(のばす)です。長い間、どうもありがとう。二十年以上もか借りてしまって、申し訳ない。 「なくたと思ってCDで買い直した」ということのありませんように。 引つ越し後二整理をしていたら、人様(注1)から借り他ままの本レコードがぼろと出てきて猛省し(注2)、項に持ち主へ返還していっているのです。 【42】「ある筈なのに見当足らない本」が少なからずあって、それを誰に貸しをたか思い出すのに一苦労しています。君のように、借りた本をきちんと返す人は珍しいわけです。 君に【43】、たった一つ。五年ほど前、神戸で合った時、[ホテルに財布を忘れてきた]と言うから貸した一万円だけか。【44】会っていないんですね。年をとると、時間がたつのが早く驚きます。ともあれ、遠からぬ来訪(注3)を待っています。神戸で盛り上がった話の続きでも【45】。 では、また連絡ください。奥さんによろしく。 草々二00四年五月十六日 野間亜門様 有栖川有栖 (注1)人様(ひとさま):ほかの人 (注2)猛省する(もうせい):強く反省する (注3)来訪(らいほう):訪ねてくること

122. 【41】

1. 君から

2. 他の人から

3. 友人に

4. 誰かに

123. 【42】

1. 即ち

2. 一方

3. あるいは

4. といっても

124. 【43】

1. 借りているのっは

2. 貸したままなのは

3. 借りなくてはいけないのは

4. 貸すことができるのは

125. 【44】

1. その際

2. それ以前

3. あの時

4. あれ以来

126. 【45】

1. してみます

2. するようです

3. しましょうか

4. するのですか

いまはコミュニケーション能力が過剰に求められる時代である。職場でも学校でも、あるいはもっとプライベートな空間でもいい。あらゆる人間関係において、自分の価値を認めてもらうためには高度なコミュニケーション能力が必要とされる。書店に行けばコミュニケーション能力を高めるための自己啓発本があり余るほどでているし、わざわざそのための学校に【41】。 確かに、いまの産業のあり方をみると、コミュニケーションが富を生み出す経済活動の中心にきていることがわかる。製造業は人件費の安い海外に工場をどんどん移転させ、国内に残っているのは、マネジメントや企画、研究開発、マーケティングといった本社機能的な仕事ばかり。そこでは、組織をまとめあげる、アイディアをだす、交渉する、プレゼンをする、ディスカッションをするといった、高いコミュニケーション能力が必要とされる活動がどうしても物を言う。社会のあり方が、工場中心からコミュニケーション中心へと大きく転換しているのである。 しかし、コミュニケーション能力が、人々の価値を決める独占的な尺度になることは、【42】。事実、コミュニケーションベたで自己アピールにそれほど長けて(注1)いなくても、能力のある人はいっぱいいる。私も大学でゼミを指導していると、ゼミの議論では目立っていてもリポートの出来はそれほどでもない学生や、逆にゼミではおとなしくても素晴らしいリポートを書いてくる学生に頻繁にであう。コミュニケーションの巧みさと本人の能力は必ずしも一致しない。 もちろんコミュニケーション能力も人間の能力の一つではある。だから、それが評価基準の一つになることは当然あっていい。【43】、コミュニケーション能力をめぐる過当(注2)な競争は、人間関係にひずみをももたらすだろう。 引きこもりは、社会のなかで要求されるコミュニケーション能力があまりに高いため、一度他者とのコミュニケーションにつまずくと、なかなか新たなコミュニケーションに踏み出せなくなってしまうことから生まれる。引きこもりまでいかなくても、周りとのコミュニケーションのなかで自分がまともに相手にされなければ、誰だって心を閉ざしてしまい、内にこもりがちになるだろう。コミュニケーション能力をめぐる激しい社会は、【44】人にとても冷淡だ。 また、いじめは子供たちのコミュニケーション能力の欠如から起きているのではなく、逆に、みんなが空気を読みすぎることで生じるストレスのはけ口を特定の人間に向けることで起きている。こうしたストレスや重圧は、子供に限った問題ではない。空気を壊してはならないという圧力は、人々とコミュニケーション能力をさらに要求するだろう。しかしそれが進めば、社会のなかで同調圧力が強まり、社会そのものが萎縮(注3)【45】。 (萱野総人「私の視点」 2009年4月9日付期日新聞朝刊による) (注1)長ける:優れている (注2)渦当な:適当な程度を超えている (注3)萎縮する:元気がなくなる

127. 【41】

1. 通う人もいるほどだ

2. 通うまでもなかろう

3. 通うべきである

4. 通う人がいるのだろうか

128. 【42】

1. 極めて当然のことではないか

2. 極めて可能性が低いのではないか

3. はたして健全なのだろうか

4. はたして起こり得ないのだろうか

129. 【43】

1. したがって

2. すなわち

3. それどころか

4. とはいえ

130. 【44】

1. こうしてつまずかせる

2. そこから踏み出させる

3. それにつまずいてしまった

4. ここから踏み出してしまった

131. 【45】

1. してしまうのだろうか

2. してしまうだけである

3. してしまうものでもない

4. してしまうとも言えまい